| アイトマートフ、チンギス(1928―) 中央アジアのキルギス共和国生まれ。畜産大学を卒業してコルホーズで働きながら文学活動をはじめた。1958年、短編『ジャミーリャ』が中央文壇で認められ、フランスの詩人ルイ・アラゴンに「世界でもっとも美しい愛の物語」と絶賛され、その後の作品はつねに各国語に訳されるようになった。邦訳に『処刑台』(佐藤祥子訳、群像社)、『白い汽船』『一世紀より長い一日』などがある。ペレストロイカの旗手的作家として活躍。
 青山明弘(あおやま あきひろ)
(1961―) 
フリーライター。共訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、『チェルノブイリのメイデー』(一光社)。
 秋元里予(あきもとさとよ) 
都立西高28期生。早稲田大学卒。東京大学修士課程終了。東京大学博士課程在学中に経団連奨学生としてロンドン大スラヴ・東欧研究所大学院に留学、ロシア語史、現代ロシア文学を専攻。主な論文に「ブルガーコフの頭部シンボル」など。訳書にオルロフの『ヴィオラ弾きのダニーロフ』(群像社)など。
 秋山洋子(あきやま ようこ) 
著書に『リブ私史ノートー女たちの時代から』(インパクト出版会)、『女たちのモスクワ』(勁草書房)、翻訳書に『中国女性ー家・仕事・性』(東方書店)ほか訳書ウォーターズ『美女/悪女/聖女』(群像社他。1974年から7年間モスクワに在住。現在、駿河大学助教授(女性学、中国学)。
 
 
アスターフィエフ、ヴィクトル(1924―)
 シベリアのクラスノヤールスク地方の寒村オフシャンカに生まれる。貧しさととりまく環境ゆえにぐれた少年時代、生活の糧を得るためにひとり大自然の中に暮らし働いた。苦労の日々様々な職を転々としながら筆を走らせ、新聞社勤務を経て作家となる。幼心に浸み込んだ素朴な祖母から受け継いだロシア正教の信心と自然の中を体ひとつで生き抜いた経験が「汎神論」的宗教観を作品に漂わせる。主な作品に『最後の挨拶』『盗み』等。邦訳に『魚の王様』(中田甫訳、
群像社)がある。
 
アブラーモフ、フョードル(1920-83)
 アルハンゲリスク州ヴェルコーラ村生まれ。幼くして父を失う。レニングラード大学3年生の時戦線に赴き重傷を負う。大学院修士課程終了後文学部ソビエト文学の講座を担当。1954年、雑誌に論文「戦後文学におけるコルホーズ農民」を発表し、そのスターリン批判によってブラック・リストにのった。近代化によって変質をとげる農村の暮らしが主要なテーマ。長編小説『兄弟姉妹』(戯曲の翻訳は宮澤俊一訳、岩波書店刊)は1989年ドージン演出でレニングラード・マールイ劇場の行った日本公演は大成功をおさめた。つづく『二冬と三夏』『岐路』『家』が歴史的な四部作。邦訳に『ジムの再来、ダール』(群像社ソヴェート文学89号)、『木馬・ペラゲーヤ・アーリカ』(宮澤俊一訳、群像社)がある。「ロシア文学を読もう」第8号に特集。
 
有賀祐子(ありがゆうこ)
 専攻はロシア文学。翻訳にアナトーリイ・キム『リス』(群像社)、「コサック・ダヴレート」(『世界文学のフロンティア』所収、岩波書店)など。1999年まで上智大学外国語学部助教授。現在、上智大学、静岡大学非常勤講師。
 
 アレクシエーヴィチ、スヴェトラーナ(1948―) 
社会の大きな流れの陰になった人々の声に耳を傾ける新しいタイプのルポルタージュ作家として旧ソ連時代から著作を発表。第一作目の『戦争は女の顔をしていない』以後、アフガン戦争の実像を伝えた『亜鉛の少年たち』(日本経済新聞社『アフガン帰還兵の証言』)、チェルノブイリ原発事故の被害者や現場作業者の声を集めた『チェルノブイリの祈り』(岩波書店)はいずれも国内外で大きな反響を呼んだ。ベラルーシ共和国ミンスク在住。群像社からは50年前の白ロシアで子どもだった101人の証言を集めた本、『ボタン穴から見た戦争』(三浦みどり訳)。
 井桁貞義(いげたさだよし) 
早稲田大学ロシア文学科、同大学院博士課程を経て現在は早稲田大学文学部教授。1988年よりロシア・ソビエト・カルチャー・データベースを主宰し文化情報紙「ノーメル」を発行。主な著書に『現代ロシアの文藝復興』(群像社)、『私・他者・世界―ドストエフスキイにおける<意識>の問題』『ドストエフスキイ』『ソビエト・カルチャー・ウォッチング』(編)『聖書をめぐる九の冒険』(共著)など。
 石黒寛(いしぐろ ひろし)
(1917―1987) 
長春(旧新京)生まれ。1938年ハルピン学院卒業後南満州鉄道株式会社(満鉄)に入社。戦後48年までシベリア抑留。その後日ソ友好事業に従事し,1981年より東海大学外国語教育センター教授。訳書にマヴロージン著『ロシア民族の起源』(群像社)、編訳書に『もうひとつのシルクロード』他訳書多数。
 糸川紘一 (いとかわ こういち)(1941ー) 
茨城県生まれ。1967年東京外国語大学ロシア語科を卒業、1973年同大学院スラヴ系言語専攻修士課程を終了。現在、群馬工業高等専門学校に勤務。著書に『「カラマーゾフ」の天地』(私家版)。
訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)。
 
 
イスカンデール、ファジーリ(1929―)
 黒海沿岸の小国、生まれ故郷のアブハジアを舞台にした、南国特有の明るいユーモアと軽妙な語り口の作品でロシア文学に新境地をひらく。少年チークを主人公にアブハーズの田舎の風変わりな人々の生態を描いた一連の作品や『ぼくの伯父さんはとても四角四面の男だが…』などで批評家の注目をひいた。邦訳された代表作に『牛山羊の星座』(浦雅春訳、群像社)、サンドロという伝説的な人物を主人公に1890年から現代までのアブハーズの歴史を一種の「ほら話」で包みこんだ連作『チュゲム村騒動記』(浦雅春訳、群像社ソヴェート文学86号)がある。
 井上怜子(いのうえ れいこ) 
岡山県生まれ。早稲田大学大学院ロシア文学科修士課程終了。1985―1988年までモスクワ在住。訳書にトリーフォノフ『彼女の人生』。現在、フリーの通訳、翻訳家。
 岩田貴(いわた たかし) 
専門はロシア演劇・ロシア文学。1987年から1991年までモスクワのプログレス出版に勤務。現在、早稲田大学法学部客員教授。著書に『街頭のスペクタクルー現代ロシア=ソビエト演劇史』(未来社)、編訳書に『ロシア・アヴァンギャルドーテアトル』(1、2、国書刊行会)。訳書にザルイギン『わがチェーホフ』、サハロワ編『チャイコフスキイ』、共訳にオクジャワ『ディレッタントの旅』(以上、群像社)など。
 
 
 ウォーターズ、エリザベス 
女性の社会的イメージや役割を軸に革命以後のロシア社会を検証し、ロシア近現代史に新たな視野をひらく研究者として注目されている。英国のサセックス大学とバーミンガム大学を卒業。現在はオーストラリア国立大学でロシア現代史を担当しソ連女性史の執筆をしている。邦訳に『美女/悪女/聖女』(秋山洋子訳、群像社)。
 内田美恵子(うちだみえこ) 
ロシア語通訳・翻訳。上智大学外国学部ロシア語学科卒業。1987年から91年までモスクワ在住。訳書にオクジャワ著『ディレッタントの旅』(群像社)など。
 浦 雅春(うら まさはる)(1948―) 
大阪生まれ。神戸市立外国語大学ロシア学科卒業。1983年早稲田大学大学院文学研究科露文専攻博士課程終了。現在、東京大学文学部助教授。訳書にイスカンデールの『牛山羊の星座』(群像社)、エドワード・ブローン著『メイエルホリドの全体像』(晶文社)など。
 
ヴァムピーロフ、アレクサンドル(1937-72)
 イルクーツク州生まれ。1961年、サーニンのペンネームで短編集『事情があって』を出版、以後戯曲を書き始める。1964年に『六月の別れ』(邦訳は『去年の夏、チュリームスクで』(群像社)
に収録)を発表し、1971年『去年の夏、チュリームスクで』にいたるまで7本の戯曲を書いた。生前は検閲の壁に幾度となく阻まれたながらも、チェーホフの再来と騒がれた人気の新鋭作家であったが、惜しくもバイカル湖上で事故死。いまだにその人気は衰えない。
邦訳に『去年の夏、チュリームスクで』(宮澤俊一・五月女道子訳、群像社・所収作品は「六月の別れほか)と『長男・鴨猟』(宮澤俊一訳
群像社)がある。 日本でも劇団や大学の文化祭でも未だに彼の戯曲はよく上演されている。「ロシア文学を読もう」第5号の沼野氏
のインタビューに関連記事。
 ヴォズネセンスカヤ、ユリア(1940-) 
レニングラード生まれ。ソ連時代の非合法フェミニスト・グループ「マリア」の創設メンバーで1970年代後半には逮捕、国内流刑。モスクワ・オリンピックの開催された80年に国外追放となり現在はミュンヘン在住。邦訳に『女たちのデカメロン』(法木綾子訳、群像社)、『女性とロシア』(亜紀書房)。
 ヴォズネセーンスキイ、アンドレイ・アンドレーヴィチ
(1933―) 
モスクワの設計技師の家に生まれモスクワ建築大学を卒業。1958年ソ連「文学新聞」紙上ではじめて詩が発表される。エフトゥシェンコ、アフマドーリナ、ロジェストヴェンスキイ、オクジャワらとともに「今世紀の背骨」と称した1960年代を代表する作家、詩人。詩集『アンチミルイ』は演出家リュビーモフによってタガンカ劇場で上演された。主な作品に叙事詩『ゴヤ』、『オーザ』、『アヴォーシ号よ!』。邦訳『藝術の青春』(草加外吉訳、群像社)ではまだ14歳だった作者とパステルナークとの精神的交流が描かれている。(『O(オー)』も所収)。
 江川卓(えがわたく)(−2001) 
東京大学法学部卒。ラジオ・プレス勤務を経て、東京工業大学教授、中京大学教授などをつとめた。ロシア・ソヴェート文学専攻。訳書にトリーフォノフの『その時、その所』(共訳、群像社)、ドストエーフスキイの『貧しき人びと』、『分身』、『地下室の手記』、『罪と罰』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』他。パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』など多数。著書に『現代ソビエト文学の世界』(晶文社)、『ドストエーフスキー』(岩波新書)、『謎とき「罪と罰」』(新潮選書)など。
 大朏人一(おおつきじんいち)
(1930-) 
元読売新聞記者。訳書に『ペレストロイカの思想』(共訳 群像社)、ゴールドマン『ゴルバチョフの挑戦』(岩波書店)他。
 
 
オクジャワ、ブラート・シャルヴォヴィチ (1924-1997)
 詩人、小説家、脚本家、歌い手。モスクワの党員労働者の家庭に生れる。粛清により父親は銃殺、母親は収容所に送られる。モスクワの街の光景や戦争の悲劇、愛や友情や希望を詩にして親しみやすい曲をつけたギターの弾き語りで1960年代以後ロシアのバルド(吟遊詩人)の代表的存在となった。その人気はロシア国内にとどまらず世界各地に拡がりをみせ日本でもレコード、CDが発売されている。また歴史的事実や人物を素材にしながら、いつもその歴史の流れからはみだしている「ちっぽけな人間」を主人公とする独自の歴史小説はロシアの現代文学のなかで独自の境地を開き、多くの読者に愛され続けている。邦訳に『シーポフの冒険 あるいは今は昔のボードビル』(沼野充義・沼野恭子共訳、群像社)、『ディレッタントの旅』(岩田貴・内田美恵子共訳、群像社)、『すばらしい冒険旅行』(新書館)など。また、CD『紙の兵隊』(解説、歌詞訳宮澤俊一、オーマガトキ)もロシア国家賞受賞(1996)。パリで客死。モスクワのワガニコフ墓地に眠る。「ロシア文学を読もう」第5号に特集。
 小澤政雄(おざわまさお)(1916―1996) 
神奈川県小田原市国府津に生まれる。1938年東京外国語学校(現、東京外国語大学)卒業。上智大学外国語学部名誉教授。ロシア文学専攻、特にロシア詩に深い造詣をもつ。ロシア語・ロシア文学に関する著書・論文の他に、主な訳書としてはプーシキンの『完訳 エヴゲーニイ・オネーギン』(群像社)、ブールソフ著『ロシア・リアリズムの系譜』(未来社)、訳詩集『露滴集』(昭森社、1976:群像社,1985)、ベリンスキイ著『プーシキン―近代ロシア文学の成立』(光和堂)、トルストイ著『幼年時代』(国土社、新版)などがある。
 
 オルロフ
邦訳に『ヴィオラ弾きのダニーロフ』(秋元里予訳、群像社)。
 
オレーシャ、ユーリイ(1899―1960)
 オデッサ、モスクワを書いた自伝的回想「一行とて書かざる日なし」はそのロシア語の完璧な美しさで有名。「愛」工藤正広訳 晶文社刊。
 カザケーヴィチ、ヴェチェスラフ  
ベラルーシ生まれ。詩人。詩集にЛунатなど。来日9年目。大阪外語大勤務の後、現在富山大学客員教授。群像社からロシアについてのエッセイ集を刊行予定。「ロシア文学を読もう」第6号にキムについてのインタビュー記事。
 カザケーヴィチ、マルガリータ 
ウクライナ生まれ。大阪のユーラシア協会にロシア語講師として来日して9年目。ロシア語会話の他、98年からロシア語で読むロシア文学購読の授業を開始。
ブルガーコフの『白衛軍』を終え、現在トリーフォノフの『川岸の館』を購読中。詩人で富山大学の客員教授のヴェチェスラフ・カザケーヴィチさんはご主人。「ロシア文学を読もう」の第1号、第2号に執筆。第8号に女史の講演、「ロシア文学が諸外国でどう受容されたか」についての関連記事。
 カヴェーリン、ヴェニアミン・アレクサンドロヴィチ(1902―1989) 
古都プスコフ生まれ。本名はジーリベル。レニングラードでの大学時代文学グループ「セラピオン兄弟」に加わって文学活動を開始。若くして才能を認められる。最初の短編集『師匠たちと弟子たち』(邦訳
月刊ペン社)は実験的意図の勝った幻想短編集。社会主義リアリズム理論に支配される文学界で同時代の生活に題材をもとめたリアルな小説を次々と発表。『願望成就』『二人の船長』『開かれた本』など多数の長編小説のほかに戯曲、評論、回想記にも筆をふるった。一方ブルガーコフやハルムスなど闇に葬られた作家、詩人たちの復権に、またソルジェニーツィンその他の反体制作家の擁護にも力を尽くした。邦訳に『ヴェルリオーカ』(田辺佐保子訳、群像社)、短編童話『夜の番人―ネムーヒンの街で千九百X年に語られた七つの面白い物語』(邦題『地図にない町で』理論社)。
 川崎浹(かわさきとおる) 
専門はロシア文学。主な著書に『「英雄」たちのロシア』『権力とユートピア』(以上岩波書店)、『ロシアのユーモア』(講談社)など。2001年3月まで早稲田大学教育学部教授。共訳書にサハロフ著『ブルガーコフ 作家の運命』(群像社)他。
 
 ギリャローフスキイ(1853―1935) 
ヴォーログダ県の生まれ。ジャーナリスト、作家。父は某伯爵の領地監督助手。17歳で学業を放棄し、おもにヴォルガ川沿いに放浪、船曳、荷役、消防夫、サーカスの曲芸師、馬師、旅役者などを経験。モスクワに出て俳優をめざすもジャーナリストに転身。自伝『わが放浪』等。邦訳の『世紀末のモスクワ』(中田甫訳、群像社)はその驚くほど広い交際、行動範囲をいかんなく発揮して書かれた100年前のモスクワを知る貴重な資料(巻末に当時の地図付き)。『ロシア文学を読もう」第1号に特集。
 草鹿 外吉(くさか そときち)
神奈川県鎌倉生まれ。早稲田大学大学院博士課程卒。日本福祉大学教授。著書『ソルジェニーツィン文学と自由』(新日本出版社)ほか。訳書にヴォズネセーンスキイ『藝術の青春』(群像社)、トリーフォノフ『気がかりな結末』(集英社)他。
 
グリーン、アレクサンドル(1880-1932)
 海洋冒険小説、幻想小説、象徴派文学など様々なジャンルを内包したロマン主義的作風が特徴。
 邦訳に『輝く世界』(沼野充義訳、沖積舎)等。
 
キム、アナトーリイ(1939-) 旧ソ連のカザフスタン生まれ。カムチャツカ、サハリンなどで暮らした後、モスクワの美術学校を中退してからさまざまな職業を経て作家の道に進む。1973年に最初の短篇を発表して以来、「朝鮮系ロシア人作家」の独自の文学世界を創造し、ボーダーレス化する現代を代表する作家として20数カ国語に翻訳されている。日本でも90年代に入って「越境する世界文学」(『別冊文藝』河出書房新社)に著者のインタビューと本作品の一部が紹介。『リス』(有賀裕子訳、群像社)は初の邦訳単行本。「ロシア文学を読もう」第6号に特集。
 クーチク、
『オード』(たなかあきみつ訳、群像社)。
 久保木茂人(くぼきしげと)(1953-1996) 
専門はロシア文学(ブルガーコフ研究)。早稲田大学文学部、同大学院を経て、早稲田大学、明治大学などで講師を勤めた。1996年没(享年43歳)。共訳書にサハロフ著『ブルガーコフ 作家の運命』(群像社)。
 グラーニン 、ダニイル・アレクサンドロヴィチ(1919―) 
クールスク生まれ。レニングラード工科大学卒業。1949年ソ連の科学者の生活を描いた短編『第二のヴァリエーション』を発表。以後、科学者、技術者をテーマにした作品を書き続ける。邦訳に第二次世界大戦中のレニングラードを記録した『封鎖・飢餓・人間』(新時代社)等。邦訳に『ズーブル』(佐藤祥子訳、群像社)。
 グレーコワ、イ 
『大学教師』(前田勇訳、群像社)。
 ゴーゴリ、ニコライ(1809-1852)  
ウクライナの小村に生まれ帝政時代の首都ペテルブルグで下級官吏として勤めながら執筆。ウクライナを舞台にした『ディカニカ近郷夜話』で文名を高める。『ネフスキイ大通り』『鼻』『外套』などペテルブルグを舞台に幻想と現実の入り混じる独特の世界を確立。プーシキンとともにその後の文学世界に多大な影響を与え続けているし、またロシアSFファンにとっては父祖的存在でもある。常に再評価され、読み直され、演じのされ続けられる小説家、劇作家。2001年秋ポクロフカ劇場の来日にあわせ30年ぶりの新訳『検査官』(船木裕訳、群像社)と『結婚』(堀江新二訳、群像社)が刊行。解説書にユーリイ・マン著『ファンタジーの方法 ゴーゴリのポエチカ』(秦野一宏訳、群像社)。「ロシア文学を読もう」第8号掲載のM・カザケーヴィチ氏の講演ではゴーゴリの笑いは外国人に受容できるかについて言及。
 コジェーヴニコワ(1925―) 
モスクワに生まれ、東洋学研究所を卒業。『イズヴェスチヤ』『コムソモーリスカヤ・プラウダ』新聞社を経て、1964年以降『ソヴェート文学』編集所に勤務。ブブノワ関係を含む日ソ文化交流と現代日本文学に関する著述が多数ある。ソ日協会の文化委員会議長としても活躍中。邦訳に『ブブノワさんというひと』(三浦みどり訳、群像社)。
 五月女道子(さおとめみちこ)(―1989) 
千代田女学園高校卒。文化座、群像座で演劇活動。1970―76年モスクワで生活中にロシア語を習得。共訳書にヴァムピーロフ『長男・鴨猟』、『去年の夏、チュリームスクで』(いずれも群像社)、季刊「ソヴェート文学」にグレコーワ、ワシーリエフ等の翻訳多数。
 佐藤祥子(さとうしょうこ)(1944―) 
東京生まれ。1966年に上智大学外国語学部ロシア語科を卒業。法政大学大学院政治学専攻修士課程終了。1972年から1986年までモスクワのプログレス出版所日本課に翻訳者として勤務。訳書にアイトマートフの『処刑台』、ストルガツキイ『滅びの都』、グラーニンの『ズーブル』(いずれも群像社)、リヴォーフ=アノーヒン『ガリーナ・ウラーノワの芸術』、マルチロス・サリヤーン『わが生涯』など。
 
 サハロフ、フセヴォロド・イワーノヴィチ(1946-) 
ロシアの文学研究者。モスクワ生まれ、モスクワ国立大学、文学大学を経て、「啓蒙」出版社の編集者を勤めた。1980年には若手批評家を対象にしたゴーリキイ賞を受賞。現在、ゴーリキイ世界文学研究所の主席研究員。ロシアの古典文学から現代文学まで幅広く論じ、主な著作に『ロシア・ロマン主義読本』、最近作に「石工と文学』ガアル。ブルガーコフ論(邦訳題『ブルガーコフ 作家の運命』川崎浹・久保木茂人共訳、群像社)は米国、ドイツ、イタリアなどでも翻訳されている。
 サハロワ
邦訳『チャイコフスキイ』(岩田貴訳、群像社)。「ロシア文学を読もう」第3号に特集。
 ザルイギン
邦訳『わがチェーホフ』(岩田貴訳、群像社)。
 塩川信明(しおかわのぶあき)
ソヴェート政治史、現代ソ連政治。著書に『スターリン体制下の労働者階級』(東京大学出版会)他。訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、カー『ロシア革命』〔岩波書店〕他。
 シニャーフスキイ、アンドレイ(1925-1997) 
ペンネームはアブラム・テルツ。モスクワ生まれ。旧ソ連の作家、批評家。文芸誌『ノーヴイ・ミール』の批評家として注目されたが「社会主義リアリズムとは何か』など当時の社会体制制に反するエッセイや小説を書いたために65年に逮捕され収容所生活を送る。釈放後はパリに亡命し、その後発表された『プーシキンとの散歩』(島田陽訳、群像社)は作家ソルジェニーツィンらの反発を呼び、ロシア国内外の知識人を巻き込む激しい論争となるほどの衝撃を与えた。
 島田陽(しまだよう) 
ロシア文学。翻訳にシニャーフスキイ『プーシキンとの散歩』(群像社)、トゥイニャーノフ『デカブリスト物語』(白水社)、シュクシーン『あかいカリーナ』(恒文社)、プラトーノフ『砂の女教師』(『ソヴェート文学』89号所収)など。現在、共同作業によるプラトーノフ作品集の刊行準備をすすめている。東京国際大学国際関連学部教授。
 
 
シメリョフ、イワン(1873-1950)
 モスクワの中流商家に生まれる。信仰心篤い家庭環境、職人らの話す野卑でフォークロアに満ちた民衆の言葉に充ちた作品は、革命前のモスクワの市井と信者の心情の細やかな描写し、「失われた聖なるロシア」時代を語る貴重な本。幼い日々を回想した「主の歳時記」(このうち「クリスマス」田辺佐保子訳を群像社刊『ロシアのクリスマス物語』に収録)、「巡礼」、「レストランから来た男」、「モスクワの婆や」など。「ロシア文学を読もう」第4号に特集。
 下斗米信夫(しもとまいのぶお) 
ソ連政治史、現代ソ連政治。著書に『ソ連現代政治』(東京大学出版会)『ゴルバチョフの時代』(岩波書店)他。訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)他。
 
シュクシーン (1929-1974)
 作家、監督、俳優、脚本家。アルタイのスローストキ村に生まれ、1954年に映画大学に入学。ミハイル・ロム監督のもとで学ぶ。同期にタルコフスキイがいた。1963年に「こんな若者がいる」で各賞を受賞し、1973年には「赤いカリーナ」に監督、主演して好評を博したが、翌年、撮影中に急死。
短編は映像的で、映画はよい意味で文学的だ。
 作品はいずれもロシア人の性格の宝庫と呼ばれ、
いまだにその死が惜しまれている。
 邦訳に『日曜日に老いたる母は…』 『頑固者』(共に染谷茂訳、群像社)など。「ロシア文学を読もう」第1号に特集。
 ストルガツキイ 、アルカージイ&ボリス 
アルカージイ・ナターノヴィチ・ストルガツキイ(1925―1991)
 ボリス・ナターノヴィチ・ストルガツキイ(1933―)
 兄アルカージイはバツーミで生まれる。レフ・ペトロフとの共著で1958年に発表した『ビキニの灰』が処女作。現代日本文学の専門家でもあった。弟ボリスはレニングラード生まれ。天文学者。ふたりの共同作業は50年代末から始まった。日本でも『世界終末十億年前』(群像社、現在品切れ)、タルコフスキイの映画「ストーカー」のもうひとつのシナリオとされる『願望機』(深見弾訳、群像社)、『モスクワ妄想倶楽部』(中沢敦夫訳、群像社)、『ストーカー』『蟻塚の中のかぶと虫』(ともに早川書房)をはじめ、すでに数多くの作品が紹介されている。
 染谷 茂(そめや しげる)(1913―) 
東京生まれ。1935年東京外国語学校ロシア語科卒業。1941―45年満州国立大学ハルピン学院教授。1945―56年ソ連の受刑軍事捕虜。上智大学教授。著書に『ロシア語文法小話』等。訳書にシュクシーン『日曜日に老いたる母は』、『頑固者』(いずれも群像社)、ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』(岩波文庫)その他。
 たなか あきみつ 
詩人。詩集に『声の痣』、『光の唇』(七月堂)。訳書にイリヤ・クーチク『オード』、ヨシフ・ブロツキイ『ローマ悲歌』(群像社)、ゲンナジイ・アイギ『アイギ詩集』(書肆山田)
 田辺佐保子(たなべさほこ) 
ロシアの児童文学をはじめとして翻訳を数多く手がける。訳書にカヴェーリン『ヴェルリオーカ』、短編集『ロシアのクリスマス物語』(いずれも群像社)、ドゥーロワ『女騎兵の手記』(新書館)など。早稲田大学文学部大学院卒。成蹊大学、電気通信大学講師、津田塾大学非常勤講師。
 
チェーホフ、アントン(1860-1904)  小説家、劇作家。南ロシアの町タガンロークで生まれる。家計を支えるため在学中からユーモア短編小説をアントーシャ・チェフォンテの名で新聞などに執筆。一方医学を修め生涯医療と執筆の二足のわらじをはいた。舞台への関心からやがてスタニスラフスキイ率いるモスクワ芸術座と出会い『かもめ』『伯父ワーニャ』『三人姉妹』『櫻の園』が生まれる。あまたあるチェーホフ論のなかでも玄人むけとされるのがザルイギン著『わがチェーホフ』(岩田貴訳、群像社)。
 富田武(とみたたけし)
ソ連政治史・比較政治論。著書に『スターリニズムの統治構造』(岩波書店)、共編著に"Novyi
mir isotorii Rossii:forum iaponskikh i rossiiskikh issledovatelei"(AIRO-XX)。訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、カー『コミンテルンとスペイン内乱』(岩波書店)他。
 
トリーフォノフ、ユーリイ(1925-1981)  高級官僚の家に生まれる。幸福な幼年期がスターリンの粛清で両親が逮捕されて一変。「モスクワもの」と称される一連の作品(『交換』『とりあえずの結論』『長い別れ』『彼女の人生』(井上怜子訳、群像社)『川岸通りの家』)には都会に暮らすインテリたちの「極小世界」が、時代との関係性においても描かれている。遺作『その時、その所』(江川卓、吉岡ゆき共訳、群像社)は自伝的作品。「ロシア文学を読もう」第7号に特集。
 ナールビコワ、ワレーリヤ(1958―) 
モスクワ生まれ。1988年に文芸誌に中編小説を発表以後ロシアの<新しい文学>を代表する作家のひとりとして注目されている。エロスを言葉に昇華させ、文体そのものを性的行為に似せると公言する彼女の文学は、しばしば内容のエロチシズムと混同され、旧来の批評家、作家たちの反感をかうこともあった。表層では恋愛の可能性(不可能性)をテーマとしながら、既成の表現を拒み、絶え間なく生まれる言葉によって現実よりも前に世界を存在させる索引は、プーシキンから発するロシアの文学主義的伝統の延長線上にも位置づけられる。邦訳に『ざわめきのささやき』(吉岡ゆき訳、群像社)。
 中沢敦夫(なかざわあつお)(1954―) 
長野県生まれ。上智大学外国語学部卒、一橋大学大学院社会研究科博士課程終了。現在、新潟大学教養部助教授。訳書にストルガツキイ『みにくい白鳥』『モスクワ妄想倶楽部』(以上 群像社)、共訳書にリハチョーフほか『中世ロシアの笑い』(平凡社)。
 中田 甫(なかた はじめ) 
愛知県生まれ。1938年ハルピン学院卒。1942―45年満州国立大学ハルピン学院助教授。敗戦後4年間ソ連に抑留。愛知大学教授を勤める。訳書にギリャローフスキイ『世紀末のモスクワ』(原題『モスクワとモスクワ人』)、アスターフィエフの『魚の王様』(以上 群像社),クラフツォフ編『口承文芸―ロシヤ』、ブルガーコフ『白衛軍』(共訳 群像社)その他。
 長縄光男(ながなわみつお)(1941-) 
東京生まれ。1965年一橋大学社会学部を卒業後、同大学院にすすみ博士課程を終了、天理大学を経て、現在、横浜国大教育人間科学部教授。訳書にリハチョーフの『文化のエコロジー』(群像社)、ベルジャーエフほか『道標』(現代企画室)、ゲルツェン『過去と思索』(筑摩書房)など、著書に『ロシアの思想と文学(共著)』(恒文社)、『チェルヌイシェフスキイの生涯と思想(共著)』(社会思想社)。
 
 中村唯史(なかむらただし) 
専門はロシア文化論・文化理論。主な論文に「イサーク・バーベリのオデッサ神話」「線としての境界:現代ロシアのコーカサス表象」など。東京大学大学院博士課程を経て、現在、山形大学助教授。訳書にバーベリの『オデッサ物語』(群像社)。
 
 
 中村裕(なかむらひろし)
(1951-) 
現代ソ連社会研究。共訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、『ペレストロイカを読む』(御茶ノ水書房)。
 沼野恭子(ぬまのきょうこ) 
東京生まれ。東京外国語大学卒。東京大学大学院博士課程、NHK国際局ロシア語放送ディレクター、ハーヴァード大学日本語講師、ワルシャワ大学日本語講師などを経て、現在、東京外国語大学、立教大学でロシア語講師。訳書にオクジャワ著『シーポフの冒険』(共訳、群像社)、
トルスタヤ『金色の玄関に』(共訳、白水社)、オクジャワ『素晴らしい冒険旅行』(新書館)、アクーニン『堕ちた天使』など。
 
 沼野充義(ぬまの みつよし) 
専門のロシア・ポーランド文学を中心に文学批評を幅広く手がけている。著書に『モスクワーペテルブルグ縦横記』(岩波書店)、『屋根の上のバイリンガル』(白水社)、『永遠の一駅手前ー現代ロシア文学案内』(作品社)など。訳書にブロツキー『私人』(群像社)、『大理石』(白水社)、オクジャワ『シーポフの冒険』(群像社、共訳)など。現在、東京大学文学部助教授。
 
 
バーベリ、イサーク(1894−1940) ユダヤ人商人の子としてオデッサに生まれる。若くして作品を書き始め、革命後赤軍の従軍記者などを経験したのちに本格的作家活動にはいった。『騎兵隊』『オデッサ物語』(中村唯史訳・群像社)等の短編群はジイド、ヘミングウェイなどから絶賛。太陽の街オデッサから生まれた独特の文学は、ユダヤ的伝統の枠を越えジョイスやニーチェにも共通する世界として高く評価され、いまだ人気が高い。スターリン時代に粛清され銃殺刑となった。「ロシア文学を読もう」第6号に「オデッサ物語」についての特集。
 袴田茂樹(はかまだしげき) 
現代ロシア論。著書に『深層の社会主義』(筑摩書房)。『ソ連―誤解を解く25の視角』(中公新書)、『沈みゆく大国』(新潮社)、『プーチンのロシア 法独裁への道』(NTT出版)。共訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)他。
 秦野一宏(はたのかずひろ)
(1954―) 
大阪生まれ。1986年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程終了(露文専攻)。現在、海上保安大学校教授。訳書に『ファンタジーの方法ーゴーゴリのポエチカ』(群像社)。主要論文に「脱げない靴――ゴーゴリ的なものを通してみた『苦の世界』」(有精堂『宇野浩二と牧野信一』再録)、「ゴーゴリ世界における<名前>」(『ロシア語ロシア文学研究』18号)、「二つのペテルブルグ――『青銅の騎士』から『外套』へ」(『むうざ』9号)
 
 早川眞理(はやかわ まり)
(小出眞理 こいで まり) 
詩人。主な詩集に『髪切虫』、『異邦、そして懐郷』、訳詩集にオシップ・マンデリシュターム『石+エッセイ対話者について』(群像社)。詩誌『貝の火』にヨシフ・ブロツキイ初期詩篇を翻訳連載中。
 
 プーシキン、アレクサンドル(1799−1837)  
モスクワ生まれ。ロシアの国民的詩人、作家。ロシア近代文学の創始者で、ゴーゴリ、ドストエフスキイ、トルストイ、チェーホフを生んだロシア文学黄金時代の原点、国民文学の父とされる。祖父はピョートル大帝の寵臣であったエチオピア人。幼少時代に聞いた乳母の民話が彼のロシア語を比類ないほど豊かにする。ペテルブルグ郊外の貴族学校リツェイ卒業後、外務省に勤務を経て本格的な作家活動へ。『エヴゲーニイ・オネーギン』(小澤政雄の完訳、群像社)は1830年頃完成したプーシキンの代表作。ロシアの作家案内シリーズ第1弾、シニャーフスキイ著『プーシキンとの散歩』(島田陽訳、群像社)は神聖化されてきた大詩人を揶揄したと大論争を呼んだ。
 
ブーニン、イワン(1870-1953)
 古い没落貴族の出身。優れた詩と翻訳で3度もプーシキン賞を受賞、アカデミー名誉会員にも選出される。革命後パリに亡命。1933年『アルセーニエフの生涯』でロシア人作家として初のノーベル文学賞を受賞。晩年の短編集『暗い並木道』では官能的な愛の世界を描く。2002年2月群像社より選集(全5巻)を刊行予定。「ロシア文学を読もう」第2号に特集。第8号にも関連記事。
 深見弾(ふかみ だん) 
岐阜生まれ。1958年早稲田大学文学部卒業。主要訳書、ストルガツキイ『世界終末十億年前』(現在品切れ)『月曜日は土曜日にはじまる』(以上群像社)『ストーカー』『蟻塚の中のかぶと虫』、スタニスワフ・レム『宇宙飛行士ピクルス物語』(以上早川書房)、他多数。
 ブシュネル、ジョン(1945―) 
歴史学者、ノースウエスタン大学教授。70年代にモスクワのプログレス出版で翻訳者として勤務。現在はロシアの農民文化を研究。邦訳に路地裏の落書きからサブカルチャーの足跡を辿った『モスクワ・グラフィティ』(島田進矢訳、群像社)。
 船木裕(ふなきひろし) 
翻訳家。比較文学・比較文化。ゴーゴリ『検察官』(群像社)、ジェーン・ハリソン『ギリシアの神々』(筑摩書房)、スヴェン・パーカーツ『グーテンベルクへの挽歌』(青土社)、チャールズ・ラム『エリアのエッセイ』(平凡社)など訳書多数。
 プリスターフキン 、アナトーリイ・イグナーシエヴィチ(1931―) 
モスクワ近郊のリューベルツイ市に生まれる。戦争中は妹と供に孤児院生活を送った。1980年、みずからの体験を元に『コーカサスの金色の雲』(三浦みどり訳、群像社)を書き上げたが、ソ連ではタブーとされたチェチェン民族の強制移住にふれたために発表を許されなかった。87年に雑誌に掲載されるまでは原稿のコピーが多くの読者の間をまわり、チェチェン・イングーシの監督によって映画化もされた。
 
ブルガーコフ、ミハイル(1891-1940)  古都キエフ生まれ。医師から作家に転じる。1920年代に文筆活動を始め、『悪魔物語』『犬の心臓』など諷刺性の強い作品を書いたが当時の体制から批判され発表できたものは限られていた。自伝的処女長編の『白衛軍』を戯曲にした『トゥルビン家の日々』はモスクワ芸術座で上演されて大きな成功をおさめたが、その後上演禁止となり、晩年は発表の可能性のないなかで作品の執筆に全精力を注いだ。その作家としての姿はソ連体制下の文学者の象徴的存在でもあり、禁書とされた作品はひそかに読みつがれ死後も絶大な人気を誇った。主な邦訳に20世紀を代表する文学とされる『巨匠とマルガリータ』(法木綾子訳、群像社)、『犬の心臓』(河出書房新社),『白衛軍』(浅川彰三・中田甫共訳・群像社)他、ロシア作家案内シリーズのサハロフ著『ブルガーコフ 作家の運命』((川崎浹・久保木茂人共訳、群像社)に詳しい作品紹介。オンライン版「読もう」に『巨匠とマルガリータ』の大特集。「ロシア文学を読もう」第2号に関連記事。
 
ブロツキイ、ヨシフ(1940-1996) レニングラード(現在のペテルブルグ)のユダヤ系家庭に生まれる。15歳で学校を去り、職を転々としながら独学で詩人への道を歩む。63年に「徒食者」という罪で逮捕され国内流刑となる。1972年にアメリカに亡命し、大学で教授職を得て、詩とエッセイを創作。1987年ノーベル賞受賞。邦訳にノーベル賞受賞講演『私人』(沼野充義訳、群像社)『ローマ悲歌』(たなかあきみつ訳、群像社)『大理石』『ヴェネツィア』がある。「ロシア文学を読もう」第8号に関連記事。
 ベック、アレクサンドル・アルフレドヴィチ(1903―1972)
サラトフ生まれ。作家、ジャーナリスト。内戦時はジャーナリストとして行動、1934年には溶鉱炉技師をテーマにした最初の小説を発表し、以後ドキュメンタリー小説を書き続ける。『新しい任務』(現代)は1965年に雑誌『ノーヴィ・ミール』に掲載予告までされながらソ連で公開されたのは1986年になってからであった。邦訳に『左遷』(前田勇訳、群像社)。
 ペトルシェフスカヤ、リュドミーラ・ステファーノヴナ(1938―) 
モスクワ生まれ。70年代から書き始めていた中短編やおとぎ話はほとんど発表を許されず80年代になって劇作家として注目された。ペレストロイカ以後は小説家としても高く評価され国内外で数多くの作品が出版されている。ノルシュテイン監督の『話の話』の共同執筆者。
邦訳に『時は夜』(吉岡ゆき訳、群像社)。
 ペレーヴィン、ヴィクトル・オレーゴヴィチ(1962―) 
モスクワ航空大学を卒業して就職した後、作家活動に入る。1990年にはロシアのSFファンが選ぶ「ヴェリーコエ・コリツォ賞」を短編部門で受賞、以来SFとファンタジー文学の常連受賞作家となった。1991年に出版された短編集『青い火影』(群像社刊『眠れ』に所収)は数日間で完売し93年にはいまロシアで最も権威あるロシア・ブッカー賞の雑誌部門で異例の受賞をはたした。ロシア文学の底流に哲学、神秘学、東洋思想までも混合させた新しいファンタジーの世界は国外でも注目され、英語、フランス語、ドイツ語と翻訳が相次いでいる。邦訳に初期の短編を集めた『眠れ』(三浦清美訳、群像社)、『虫の生活』(吉原深和子訳、群像社)。2001年10月東京大学で行われた日露作家会議
に出席するため初来日。
 ベローフ 、セルゲイ・ウラジーミロヴィチ(1937―) 
ドストエフスキイ学者・書誌学者。書誌学を方法としたドストエフスキイ研究で新境地を拓く。現在はペテルブルグのサルトゥイコフ・シチェドリン記念国立公共図書館の上級研究員。邦訳に『「罪と罰」注解』(糸川紘一訳 江川卓監修、群像社)。
 法木綾子(ほうき あやこ) 
翻訳者。訳書にブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』、ヴォズネセンスカヤ『女たちのデカメロン』(以上群像社)、デリューシナ『タチアーナの源氏日記』(TBSブリタニカ)がある。現在、東京水産大学講師。
 堀江新二(ほりえしんじ)(1948―) 
東京生まれ。早稲田大学大学院修士課程卒。APS通信社、モスクワ・ラードガ出版社に勤め6年間のロシア生活を経て、1988―91年大映(株)で『おろしや国酔夢譚』の制作コーディネーター。91―98年天理大学助教授。98年から大阪外国語大学助教授。著書に『したたかなロシア人』(講談社、共著)、『したたかなロシア演劇』(世界思想社)など、訳書にワフターンゴフ著『演劇の革新』、ゴーゴリの新訳『結婚』(いずれも群像社)、『夜明けの星たち』(岩波書店)『ジャンナ』(青年座上演)『ボルグマン』(劇団銅鑼上演).
 
 
 前田勇(まえだ いさむ) (1931-) 
北海道石狩国樺戸部新十津川村に生まれる。早稲田大学大学院修士課程終了。その後(株)トーメンにてソ連貿易に従事、モスクワ駐在員事務所長を務める。退職後、経済団体連合会・日ソ経済委員会主任研究員、慶應義塾外国語学校講師を務めた。訳書にイ・グレコーワ著『大学教師』
、ベック著『左遷』(いずれも群像社)など。
 
 
 マヴロージン、ウラジーミル・ワシーリエヴィチ(1908―1987) 
キシニョフ生まれ。レニングラード大学文学部卒、同大学教授、歴史学博士。50―60年代に農奴制ロシアにおける階級闘争史をテーマとする研究をした後、70年代には総括的テーマの著作として『古代ロシア国家の成立と古代ロシア民族の形成』、『ロシア民族の起源』(石黒寛訳、群像社)を著した。
 松岡信夫(まつおかのぶお)
市民エネルギー研究所代表。著書に『ドキュメント・チェルノブイリ』(緑風出版)。訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、シチェルパク『チェルノブイリからの証言』(技術と人間)
 
 マン、ユーリイ・ヴラジーミロヴィチ(1929―) 
現代ロシアを代表するゴーゴリ専門家。ドイツ・ロマン主義思想の研究から出発して、ヨーロッパ近代におけるゴーゴリの位置づけをめざす新しい視点の研究で知られる。バフチンのカーニバル論を受けてヨーロッパ近代文学におけるグロテスクの問題を論じた著書もある。世界文学研究所主管研究員。1983年には「日ソ・ゴーゴリ
シンポジウム」で来日。邦訳『ファンタジーの方法』(秦野一宏訳、群像社)ではゴーゴリのグロテスク世界が解明されている。
 
マンデリシュターム、オシップ(1891-1938) ポーランドの首都ワルシャワでユダヤ系の家庭に生まれ、翌年一家でロシアへ移住。幻想の都ペテルブルグが詩人の揺籃の地となる。ロシア語を母語として詩を書き始め、早くから象徴派の詩人たちと交わり、1931年刊行の第一詩集『石』(早川眞理訳、群像社)により神秘的な象徴主義から離れた新しい詩の潮流(アクメイズム)の代表的詩人として高く評価された。革命後も国内に残ったが社会主義的な文学が主流を占める中で次第に発表の場を失い、34年スターリンを諷刺した詩で逮捕流刑、38年の二度目の逮捕の後、収容所で死亡。その後も詩の影響力は尽きることなくパウル・ツェランやヨシフ・ブロツキイ、シュイマス・ヒーニーをはじめ多くの詩人たちにとって貴重な「光源」となっている。邦訳『露滴集』(群像社)に一篇収録。「ロシア文学を読もう」第3号に特集。
 三浦清美(みうら きよはる) 
専門はスラブ文献学。東京大学大学院人文科学研究科博士課程終了。現在、電気通信大学専任講師。訳書にペレーヴィンの『眠れ』(群像社)。博士論文『14・15世紀ノヴゴロド・プスコフ地方における異教残滓と正教会』。
 三浦みどり(みうら みどり) 
ロシア語通訳、翻訳家。訳書にアレクシエーヴィチ『ボタン穴から見た戦争』、コジェーヴニコワ『ブブノワさんというひと』(江川卓監修)、プリスターフキン『コーカサスの金色の雲』(以上、群像社刊)、アレクシエーヴィチ『アフガン帰還兵の証言』(日本経済新聞社)、石井桃子『ノンちゃん雲にのる』(ロシア語訳)などがあり、新美南吉「手袋を買いに」のロシア語訳が「今日の日本」(1999、No.6)に掲載。「グループ501」同人。
 
 
宮澤俊一(みやざわしゅんいち)(1932-2000)
 群像社の前代表。早稲田大学ロシア文学科卒。劇団民芸水品演劇研究所卒。劇団文化座、群像座などで演劇活動の後、70年代モスクワのプログレス出版に翻訳者として勤務のかたわら、ソ連演劇や文学を研究。帰国後の80年に群像社を設立。当時の日本には紹介される可能性すらなかった文学作品の翻訳、出版に精力的に取り組む。脚本の翻訳もてがけ、ロシアの精鋭演出家らを招待し、日本の劇団がロシアの新しい芝居を上演する橋渡しをする。慶応、埼玉大などでロシア語の教鞭をとるかたわらロシア演劇専門家としても活躍。訳書に『木馬・ペラゲーヤ・アーリカ』『去年の夏 チュリームスクで』『長男・鴨猟』『櫻の園』(いずれも群像社)など。群像社トップページに創立史。「ロシア文学を読もう」第5号の特集、追悼 宮澤俊一のページに詳しく紹介。
 安岡治子(やすおかはるこ)(1956―) 
東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。共著書に『新版・ロシア文学案内』(藤沼貴・小野理子と共著)、訳書にラスプーチンの『マチョーラとの別れ』、『マリアのための金』(ともに群像社)、ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』(国書刊行会)等。
 横手慎二(よこてしんじ)
ソ連外交史。共著に『ロシア史の新しい見方』(山川出版社)他。訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)。
 吉岡ゆき(よしおかゆき) 
通訳、翻訳家。主な訳書にペトルシェフスカヤ『時は夜』、ナールビコワ『ざわめきのささやき』(いずれも群像社)、ドゥトキナ『ミステリー・モスクワ』(新潮社)、共訳にトリーフォノフの『その時、その所』(群像社)など。
 吉原深和子(よしはらみわこ) 
専門は20世紀ロシア文学。東京外国語大学ロシア語科、早稲田大学大学院文学部研究科ロシア文学専攻博士課程を経て現在、信州大学非常勤講師。主な論文に「プラトーノフの作品における“放浪者”の形象」(『ロシア語ロシア文学研究』25号)がある。訳書にペレーヴィン『虫の生活』(群像社)。
 
 
ラスプーチン、ワレンチン(1937-)  イルクーツクに生まれ。ロシア古典文学のリアリズムの伝統にのっとり、人間の内面世界を深く凝視する作風。邦訳に『マチョーラとの別れ』『マリアのための金』(『アンナ婆さんの末期』を収録)(いずれも安岡治子訳、群像社)。『フランス語の授業』(群像社ソヴェート文学75号)『生きよ、そして記憶せよ』(講談社)『カラスに何か言うことある?』(ソヴェート文学84号)『長く生き、長く愛せ』(ソヴェート文学89号)(いずれも宮澤俊一訳)など。「ロシア文学を読もう」第8号に特集。
 リハチョーフ
ペテルブルグに生まれる。中世ロシア文学研究の最高権威といわれ、数多くの著作を発表する一方で、文化財保護の運動をはじめ、現代社会全般にわたる発言は幅広い支持を集めている。ロシアの〈知〉(インテリゲンツィア)の伝統をつぐリハチョーフの思想はソ連、ロシアのみならず世界的視野で通用する〈良識〉といえる。ソヴェート文化基金総裁でアカデミー会員。邦訳に『文化のエコロジー』(長縄光男訳、群像社)、『庭園の詩学』(平凡社)。
 
リュビーモフ(1924―)
 1964年から81年の当局による追放までタガンカ劇場を率いていた人気演出家。独自の境地で「リュビーモフのタガンカ」と言われるほどの黄金時代を築く。
 和田春樹(わだ はるき) (1938-) 
ロシア・ソ連史。著書に『私の見たペレストロイカ』(岩波書店)他。共訳書に『ペレストロイカの思想』(群像社)、『ペレストロイカを読む』(御茶ノ水書房)他。
 ワフターンゴフ、エヴゲーニイ・ヴァグラチオーノヴィチ(1883―1922) 
演出家、俳優。1911年にスタニスラフスキーのモスクワ芸術座に入り、第一研究劇場の俳優・演出家として活動。ほぼ同時に創設した学生研究劇場はのち1926年にワフターンゴフ劇場となった。心理主義的で繊細な描写から大胆な構成主義的舞台表現まで、時代の要請に合った演劇を模索したその一生は、演劇の求道者の名にふさわしい。
邦訳に『演劇の革新』(堀江新二訳、群像社)。
 
 
 
 
 
 
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